以下、前掲崎谷の分析に依拠して説明する。最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を担ったのはシベリアの狩猟民であるC3系統である(2-3万年前)。バイカル湖周辺からアムール川流域およびサハリンを経由して、最終氷期の海面低下により地続きとなっていた北海道に達した。また、一部はさらに南下し、北部九州に達した。細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えられる。
その後、1万数千年前に、大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人である。D2は日本だけで見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県56%、本州42-56%で、朝鮮半島では0%である。近縁のD1,D3がチベットで見られる。D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西がD1,D3になったと考えられる。
同じ頃、経路は不明であるが、インドに起源を持つC1系統が南方から入ってきた。貝文土器を用い、縄文人とは異なる文化を南九州に築いた。
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O1系統は台湾が起源であり、オーストロネシア語族との関連が想定されている。台湾と近いにも関わらず、日本列島ではO1はごく少数に過ぎない。
O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは2800年前である。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上し、山東省、朝鮮半島、日本列島に達したと考えられる。長江文明の稲作を持ち込んだと考えられる。