2009年06月19日

海藻には食用のものがかなり含まれている

海藻には食用のものがかなり含まれている。養殖されているものもある。

コンブ:マコンブ(Laminaria japonica)など。
ワカメ:Undaria pinnatifida。
海苔:アサクサノリ(Porphyra tenera)やスサビノリ (Porphyra yezoensis)など、原始紅藻亜綱ウシケノリ科アマノリ属のものが材料となる。
アオノリ:緑藻類アオサ科アオノリ属のもの。
テングサ:マクサ(Gelidium crinale)を中心とした、紅藻類テングサ科の海藻の総称。寒天や心太の材料。
食用の藻類以外にも、細胞外被構造が建材などに利用されるものがある。

珪藻土
珪酸質である珪藻類の被殻が蓄積したもの。ノーベルがニトログリセリン安定化の基質として着目し、ダイナマイト発明の契機となった話は有名である。現在では七輪や、壁への塗布剤として用いられる。
石灰岩
ハプト藻類の一種である円石藻や、原生生物である有孔虫類の被殻が蓄積して化石化したもの。切り出してそのまま用いたり、破砕してセメントの材料に。
他方、赤潮の原因となって漁業や海産物の養殖場に被害を与えるなど、害のあるものもある。海域ではクロロフィルa/cを持つ珪藻やラフィド藻、渦鞭毛藻が大発生する場合が多く、その色素組成から海水が赤く見えるのでこう呼ばれる。一方淡水では藍藻や緑藻が増えやすく、水が緑色のどろどろ状態になる様子からアオコと呼ばれる。

真性細菌

藍色植物門 Cyanophyta (藍藻類)
真核生物
更年期障害
映画音楽
アルツハイマー病
オリエンテーリング
関節炎
人間工学
甲状腺疾患
環境工学
タップダンス
機械工学
原始時代
いざ・鎌倉時代
世界の建築
季節のこよみ
月の物語
湯・山梨
外国の物語
果実で美!
オレンジ活用
掃除秘伝


アーケプラスチダ Archaeplastida

灰色植物門 Glaucophyta
紅色植物門 Rhodophyta (紅藻)
緑色植物門 Chlorophyta
緑藻綱 Chlorophyceae
クラミドモナス目 Chlamydomonadales
オオヒゲマワリ目 Volvocales : オオヒゲマワリなど
クロロコックム目 Chlorococcales : クンショウモなど
ヨコワミドロ目 Sphaeropleales : アミミドロなど
サヤミドロ目 Oedogoniales
ヨツメモ目 Tetrasporales
カエトフォラ目 Chaetophorales
カエトペルチス目 Chaetopeltidales

2009年06月01日

天津条約と日本の軍備拡大

1885年4月全権大使伊藤博文と李鴻章により天津条約が結ばれ、四ヶ月以内の日清両軍の朝鮮からの撤退と、以後出兵時の事前通告および事態の沈静化後すみやかに撤収すべきことが定められ、その後10年間外国軍隊の朝鮮駐留はなくなった。

しかし、これらの事変後明治政府は軍備拡大を進めた。1882年8月山県有朋は煙草税増税分による軍備拡張を、9月岩倉具視は清を仮想敵国とする海軍軍拡と増税を建議し、陸軍は3年後からの兵力倍増を、海軍は翌年からの8カ年で48隻の建艦計画をたてた。これにより、歳出に占める軍事費の割合は1882年度17.4%だったものが、1890年度には30%を超えるまでに増大した。
法人設立 結婚 リラク 通信販売 介護 ファッション 語学 交通地図 生涯学習 遊園地 審美歯科 就職 健康 資産運用 老人 介護 クレジット メンタル スポーツ 学習指導 自動車 音楽 観光 エステ 交通 しわ取り 雇用 引越し 旅行代理店 出会い 包茎 ペット タロット メンタル 衣料 楽器教室 寝具 学校 九州沖縄 化粧品 美容 審美歯科 キャッシング 子育て メンタル 実益 包茎 生活雑貨 スクール 健康食品


また、1883年には徴兵令を改正し、免役規定中の代人料を廃止して兵員増をはかり、1888年には従来の内乱鎮圧型の鎮台を改編し、6師団と近衛師団を創設して海外での戦闘能力を高め、1889年には徴兵令の免除規定を全廃した。

1886年8月には清の北洋艦隊のうち定遠など4隻の軍艦が長崎港に入港した際、上陸した水兵が日本の警官隊と衝突し、双方に死傷者を出す(死者日本側2名、清側8名)騒ぎ(長崎事件)となった。

両事変後、朝鮮において日本は経済的に進出し、90年代朝鮮の貿易で日本は輸出の90%以上、輸入の50%を占め、米・大豆価格の高騰と地方官の搾取、賠償金支払いの圧力などが農村経済を疲弊させた。[13] 1894年5月に朝鮮で、東学教団構成員の全琫準を指導者として民生改善と日・欧の侵出阻止を求める農民反乱である甲午農民戦争(東学党の乱)が起き、5月31日には全羅道首都全州を占領した。これにより6月1日朝鮮政府は清の派兵を要請する一方、農民軍への宣撫にあたり、6月11日農民軍の弊政改革案を受け入れて全州和約を結び、清および日本の武力介入を避けるべく農民軍は撤退した。

清は6月7日には日本に派兵を通告し12日に900名の軍隊が牙山に上陸、日本の伊藤博文内閣は議会との激しい対立(5月30日、内閣弾劾上奏案可決)[14]により政治的に行き詰まっており、対外的に強硬にでて事態打開をはかろうとした。6月2日閣議は衆議院解散と公使館、居留民保護の名目で朝鮮への混成一個旅団8000名の派兵を決定し、5日には史上初の大本営を設置した。 6月10日海軍陸戦隊400と大鳥圭介公使が漢城に入り、後続部隊を合わせて4000名の混成旅団が首都周辺に駐留することとなったが、既に農民軍は撤収しており天津条約上でも日本軍の派兵理由は無くなった。清も軍を増派したが首都に入ることは控えて牙山を動かなかった。

2009年04月29日

神仏習合

神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、土着の信仰と仏教信仰を折衷して、一つの信仰体系として再構成(習合)すること。一般的に日本で神祇信仰と仏教との間に起こった現象を指すが、広義では、世界各地に仏教が広まった際、土着の信仰との間に起こった現象をも指す。以下、日本における神仏習合について述べる。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。

552年(538年説あり)に仏教が公伝した当初には、仏は、蕃神(となりのくにのかみ)として日本の神と同質の存在として認識された。日本で最初に出家して仏を祀ったのは尼(善信尼)であるという記録が日本書紀にあるが、これは巫女が日本の神祇を祀ってきたというのをそのまま仏にあてはめたものだと考えられている。

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寺院の焼亡による仏の祟りという考え方も、仏には祟るという概念が無いため神祇信仰をそのまま仏に当てはめたものと理解できる。
日本人が、仏は日本の神とは違う性質を持つと理解するにつれ、仏のもとに神と人間を同列に位置づけ、日本の神々も人間と同じように苦しみから逃れる事を願い、仏の救済を求め解脱を欲しているという認識がされるようになった。715年には越前国気比大神の託宣により神宮寺が建立されるなど、奈良時代初頭から国家レベルの神社において神宮寺を建立する動きが出始め、満願禅師らによる鹿島神宮、賀茂神社、伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。また、宇佐八幡神のように神体が菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れた。奈良時代後半になると、伊勢桑名郡にある現地豪族の氏神である多度大神が、神の身を捨てて仏道の修行をしたいと託宣するなど、神宮寺建立の動きは地方の神社にまで広がり、若狭国若狭彦大神や近江国奥津島大神など、他の諸国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依したいとの意思を示すようになった。こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、神前で読経がなされるようになった。

こうした神々の仏道帰依の託宣は、そのままそれらを祀る有力豪族たちの願望であったと考えられている。律令制の導入により社会構造が変化し、豪族らが単なる共同体の首長から私的所有地を持つ領主的な性格を持つようになるに伴い、共同体による祭祀に支えられた従来の神祇信仰は行き詰まりを見せ、私的所有に伴う罪を自覚するようになった豪族個人の新たな精神的支柱が求められた。大乗仏教は、その構造上利他行を通じて罪の救済を得られる教えとなっており、この点が豪族たちに受け入れられたと思われる。それに応えるように雑密を身につけた遊行僧が現われ、神宮寺の建立を進めたのだと思われる。まだ密教は体系化されていなかったが、その呪術的な修行や奇蹟を重視し世俗的な富の蓄積や繁栄を肯定する性格が神祇信仰とも折衷しやすく、豪族の配下の人々に受け入れられ易かったのだろうと考えられている。

こうして神社が寺院に接近する一方、寺院も神社側への接近を示している。8世紀後半には、その寺院に関係のある神を寺院の守護神、鎮守とするようになった。710年(和銅3年)の興福寺における春日大社は最も早い例である。また、東大寺は大仏建立に協力した宇佐八幡神を勧請して鎮守とし、これは現在の手向山八幡宮である。ほかの古代の有力寺院を見ても、延暦寺は日吉大社、金剛峯寺は丹生神社、東寺は伏見稲荷大社などといずれも守護神を持つことになった。

この段階では、神と仏は同一の信仰体系の中にはあるが、あくまで別の存在として認識され、同一の存在としてみるまでには及んでいない。この段階をのちの神仏習合と特に区別して神仏混淆ということもある。数多くの神社に神宮寺が建てられ、寺院の元に神社が建てられたが、それは従来の神祇信仰を圧迫する事なく神祇信仰と仏教信仰とが互いに補い合うかたちとなった。

2009年04月14日

道教

道教 (どうきょう、Dàojiào、英語 Taoism)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。

道(タオ)という宇宙と人生の根源的な真理の世界の不滅と自然と一体となり修行し煉丹術の習得に励み、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し、分け与え、仙人となることを究極の理想とする観念を会得して常日頃、普段身近にし清く保つこと、漢民族の土着的・伝統的な宗教。道の字は⻌(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を含んでいる。

日本においての道教の世界とは真理を教わることでなく、教えをもってその人なりに理解をした各人が意欲をもって各人なりの道を学び得て身につけてゆくことであり、気づきをもって各人の生活の場面でその身に付いたものをそれぞれに生かし、変わらない中で変えてゆき、生活の配合に取り入れ多種多様に変化させながらも大切に思うことを清く保ちつづけて生きてゆくこと。正しく道義を貫きその事をずっとやって行こうと清く強い意志を持ち、繰り返すうち、幾度も通るたびに徐々に歩いた跡のそこに道が出来ることに由来している、その中へ美しい所作が加わり、子孫が繁栄され継承されるようになると流派となる。日本の宗教以外の実用面では、柔道、剣道、茶道、煎茶道、華道、香道、として用いられ、道の分野の順番として、道のあとに流派であり茶道羽澤流のように茶の和心の道としての茶道、そののなかで極みとして特徴をもつ種別として流派が云われる。

神仙となって長生きをすることは道をえる機会が増えることであり奨励される。真理としての宇宙観には多様性があるとしており、道教における宣教師的存在である道士らの宗派は、宇宙の多様性を示しているとして大いに歓迎される。また中国で三教が共存するのは多様性をよしとするからであり、各々が補完しあっている。また、食生活においても何かを食することを禁ずる律はなく、さまざまな食物をえることで均衡がとれ長生きするとされる。

現在でも台湾や東南アジアの華僑・華人の間ではかなり根強く信仰されている宗教である。中華人民共和国では文化大革命によって道教は壊滅的な打撃を受けたが、民衆の間では未だにその慣習が息づいている。また現在では宗教帰依が許され、その宗教観の修復がなされている。

なお、老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はない、とするのが、従来、日本の研究者の立場であった。しかし、道教が創唱宗教の形態を取る過程で道家の思想を取り入れたことは事実で、そのため西欧では、19世紀後半に両方を指す語としてタオイズム(Tao-ism)の語が造られ、アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向がある。それを承けて、日本の専門家の間でも同様な見解を示す向きが近年は多くなってきている。

どのようにして現在のような宗教的思想体系になったのか、ほとんど不明である。道教の発生は、中国古来の巫術もしくは鬼道の教、不老長生を求める神仙思想を基盤としている。その上に、墨家の上帝鬼神の思想信仰、儒教の神道と祭礼の哲学、老荘(道家)の「玄」と「真」の形而上学、さらに中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れてできあがった物であろう。

教団組織の面では、同時期に整って行った仏教教団の影響も受けて、隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった。

日本の道教研究をリードし、道教学会を組織した中心は、吉岡義豊・福井康順・窪徳忠・福永光司・宮川尚志・澤田瑞穂等である。

道家・儒教との関係 [編集]
道教とは、「道の教え」である。広義には、「従うべき聖人の教え」という意味で、この語(道教)は使われる。この場合儒教や仏教を指すこともある。実際、「道学」と言えば、それは儒学を指す。

狭義には、「『老子』や『荘子』の中で述べられているような道の教え」「老荘」と言う意味で使われる場合もある。そして、この「老荘」と関連して、「5世紀に歴史的に形成された道教」(茅山派)という意味でも、使われる。

「老荘」と、「5世紀に歴史的に形成された道教」は伝統的な中国では《道家》、欧米では“Taoism”と呼ばれ、道教と道家は同じものを指すと言われている。

道(タオ)は、自然とか無為と同義とされ、また陰陽の思想で説明される。道は真理であり、無極(むごく)と呼ばれ、また太極とか太素と呼ばれる。これらの思想は、太極図で示される。朱子学として大成される宋学の形成に重要な役割を担ったのは、この太極図である。

歴史的に形成された道教 [編集]
道教の教団の制度は2世紀頃の張角の太平道(黄巾の乱)、さらに張陵の五斗米道(天師道)の教団制度が基本にあるのではないか、と言われている。更に中国に入ってきた仏教の教団制度との類似も指摘されている(特にその出家制度)。

西晋末の葛洪(かっこう)は、『抱朴子(ほうぼくし)』を著し、仙人となるための修行法を説いた。

北魏の寇謙之(こうけんし)は、新天師道をおこした。

5世紀頃(劉宋)の江南で活躍した道士、陸修静(りくしゅうせい 406年 - 477年)はさまざまな流れのあった道教をまとめあげる事に大きな寄与をした、と言われている。当時、江南呪術の系譜であるといわれる「三皇経」、またその他に「霊宝経」、「上清経」などと称される経典群があったが、それらは、系統的に別々の流れのものだった。このころには、道の変化した神である「元始天尊」「霊宝天尊」「道徳天尊」の三清が文献上現れている。

南斉・梁の陶弘景(とうこうけい 456年 - 536年)は、それらを体系づけた『真誥(しんこう)』を著した。

同姓の老子(李耳)を宗室の祖と仰ぐ唐朝は、宮中での道教の席次を仏教の上に置いた(道先仏後)。玄宗の時代には、司馬承禎から法籙を受け道士皇帝となり、自ら『道徳経』の注釈書をつくり、崇玄学(道教の学校)を設置してその試験の合格者は貢挙の及第者と同格とされた(道挙)。

唐末の道士杜光庭(とこうてい)は『道教霊験記(どうきょうれいげんき)』、『洞天福地岳瀆名山記(どうてんふくちがくとくめいざんき)』を著わした。

宋代には真宗や徽宗といった皇帝が道教を保護し、内丹術(ないたんじゅつ)や錬度(れんど)の科目が盛行し道教の姿も大きく変化していった。

北宋の張伯端(ちょうはくたん)は『悟真篇(ごしんへん)』という 内丹道の主要経典を著わした。

道教では、八仙と呼ばれる8人の仙人が並び称されるが、なかでも宋代の呂洞賓(りょどうひん)が、もっとも有名な仙人と言える。

金・元の時代に、北方で全真教に代表される新道教が成立した(他に、真大道教と太一教の教団が勃興した)。また南方には、五斗米道の流れをくむ正一教が教勢を張っていた。

明代の正統年間には『正統道蔵』、万暦年間には『万暦続道蔵』と、道教の大蔵経である道蔵が成立した。

「西遊記」では、玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)が孫悟空に斉天大聖(せいてんたいせい)の位を与えている。

明代の通俗小説「封神演義(ほうしんえんぎ)」では道教の神々が数多く登場するが、この小説の内容が民間で流行したために、「封神演義」で創作された故事がそれまで伝えられていた説話と置き換わったり、廟に創作上の人物の名が掲げられたりするなど、後の信仰に影響を与えた。

日本における道教 [編集]
仏教や儒教と同じ頃に道教も日本に渡来した。律令制にも道教に関する役所が採用されたが、民衆運動や政争に利用され、仙人になるために水銀などの危険薬物を使うため、やがて廃止された。それにかわって、陰陽師が道術を取り入れ、日本独自の陰陽道が生まれた。陰陽師としては、平安時代の安倍晴明などが有名である。「天皇」という称号も道教に由来するという説がある(天皇大帝参照 すなわち北極星という意味であるという説)。また、道教が日本の文化に受け入れられなかった理由の一つとして、仙人思想が日本文化に確立された天皇制を覆す思想に繋がるという理由で日本人には受け入れることができなかったためである、という説もある。

日本での道教寺院は、埼玉県坂戸市の聖天宮などがある。

陰陽道の思想は日本の都の建設や神社の創建にも影響を与えている。龍穴である。

風水は道教の陰陽五行説を応用したものである。現在でも開運を願って取り入れようとする人がおり、韓国や日本などで盛んである。ただ、これは同じく地理的要素を占う陰陽道とは少し異なる。風水では天円地方の思想のうち地方の部分が形骸化しており、地方を天円と同じく重くみる陰陽道とは異なる。この地方という考えは儀式としての相撲における土俵(古来四角であった)に現れていたが、現在ではその特性を失われ円になっている。

易も、街頭で易者を見掛けるなど、日本にも道教に起源をもつ占術は根付いている。日本に伝来し、定着した道教信仰と言えば、庚申信仰である。各地に庚申塔や庚申堂が造られ、庚申講や庚申待ちという組織や風習が定着している。現代でも、庚申堂を中心とした庚申信仰の行われている地域では、軒先に身代わり猿を吊り下げる風習が見られ、一目でそれと分かる。

辛亥、甲子革令、二十四節気などの暦に関することもかなり道教の影響をうけているが、陰陽道と同じく日本独自の思想と習合などがなされている。

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2009年03月30日

ヌードシーン

ヌードシーン (nude scene) は、映画やテレビドラマなどで俳優が全裸もしくは半裸で映るシーンのこと。 ヌードシーンのうち、性行為の描写を伴うものは濡れ場(ぬれば)と呼ばれる。

一般映画やテレビドラマでの濡れ場、入浴シーンなどはカメラの写らない部分(濡れ場であれば布団等の中、入浴シーンであれば入浴剤などで着色した浴槽の中)で何らかの衣装を着させている場合があるが、これはあくまで裸に見せかけているだけなので、ヌードシーンには含まれない。

歴史 [編集]
映画におけるヌードシーンは、長い間論争の的となっている。サイレント映画時代には、既にヌードシーンを売りとする映画が複数存在した。これらに対する非難に対し、米国ではヘイズ・コードと呼ばれる自主規制基準が制定され、1930年代から1960年代までの間ヌード描写が原則禁止された。ただし1950年代始めにはヌーディズムに関する半ドキュメンタリー映画がヌーディストの裸体を、また1959年の『インモラル・ミスター・ティーズ』は一般のヌードシーンを含んでいた。

ヘイズコードが廃止されるとともに自主規制が現在のようなレイティング方式に移行すると、多くの米国映画がヌードシーンを売り物にするようになった。しかし、一方で正面からの全裸描写(full frontal nudity、ヘアヌードに類似)、特に男性のそれについてはまだ稀少な存在にとどまっている。この点についてはヨーロッパ映画においての開放・普及がとくに目覚ましく、また、ヌードシーン(性的ではあるが、ポルノではないもの)に対する観客の理解・許容度も深いとされる。

以下の映画はそのヌードシーンに関して公開時に広く議論された、歴史的に重要な作品である。
せいぜつ デスマ バグパイ セミナー ユビキノン バラック フロック ダバッグ パンパ ソドミー リング ウォーム ジョーズ ドーミ クロスバ サイバー バンガ ハミング メンソール しろかもめ ポトス ロリズム ニング ヨヒン ハイク ナビ雑草 レモネード ダウラギ イロード テーション テンショ フルベ ビーフシ マーメ ステイ レリック げんこつ スレーブ フラグ トップモー ランドレ チュクチ モノマー ニーズ トラポコ テンポ エニグ ギャラリー ラスト マーキュリ

Inspiration(1915年、George Platt監督) - ヌードシーンを含む最初の映画
春の調べ(1933年、グスタフ・マハティ監督)
欲望(1966年、ミケランジェロ・アントニオーニ監督)
私は好奇心の強い女(1967年、ヴィルゴット・シェーマン監督)
ロミオとジュリエット(1968年、フランコ・ゼフィレッリ監督)
恋する女たち(1969年、ケン・ラッセル監督)
ラストタンゴ・イン・パリ(1972年、ベルナルド・ベルトルッチ監督)
愛の嵐(1974年、リリアーナ・カヴァーニ監督)
「エマニエル夫人」シリーズ(1974年 - 1977年、ジュスト・ジャカン監督)
テン(1979年、ブレイク・エドワーズ監督)
スペースバンパイア(1985年、トビー・フーパー監督)
ブルーベルベット(1986年、デヴィッド・リンチ監督)
美しき諍い女 (1991年、ジャック・リヴェット監督・脚本)
氷の微笑(1992年、ポール・バーホーベン監督)
ピアノ・レッスン(1993年、ジェーン・カンピオン監督)
おっぱいとお月様(1994年、ビガス・ルナ監督)
ショーガール(1995年、ポール・バーホーベン監督)
スピーシーズ 種の起源(1995年、ロジャー・ドナルドソン監督)
タイタニック(1997年、ジェームズ・キャメロン製作・監督・脚本)
アイズ・ワイド・シャット(1999年、スタンリー・キューブリック監督)
アレキサンダー(2004年、オリバー・ストーン監督)

日本映画 [編集]
日本映画において初めて全裸になったのは、1956年の『女真珠王の復讐』における前田通子であるとされる。ただし該当シーンは女優の背後からの撮影であるため、現代の基準と比較すると非常なソフトな描写であった。

1970年代~1980年代前半において邦画が地盤沈下を継続していたために当時清純派と見られていた竹下景子、名取裕子ら若手女優がこぞってヌードになり世間を驚かせた。

ヘアヌードが事実上の解禁状態となった1990年代以降では、1994年の『愛の新世界』における鈴木砂羽・片岡礼子のヘアヌードが、日本映画における初のヘアヌードである。現在では、CM契約において、イメージを重視する企業側が女優に対してヌードにならないよう要請する場合もあるため、若手女優のヌードシーンは激減している。前評判との落差で物議をかもした伊東美咲(『海猫』)の例がこれに該当すると報じられている。ヌードシーンを披露しながらもCM契約を継続できた星野真里(『さよならみどりちゃん』)などのような例もある。

2009年03月14日

コア渓谷の先史時代の岩絵遺跡群

コア渓谷の先史時代の岩絵遺跡群は、ポルトガルで発見された旧石器時代の岩絵の残る野外のものとしては最大級の遺跡である。

1980年代後半に、ポルトガル北東部のヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コア(Vila Nova de Foz Côa)で線刻芸術が発見された。この遺跡はコア川(Côa river)流域の渓谷に位置し、1万年から2万年前の馬、牛、他の動物、人物、抽象的な図像などの数千に及ぶ線刻画から成っている。1995年からは、考古学者のチームが、この先史時代の岩絵群の研究と分類を続けており、いくつかのエリアで観光客を迎え入れるために、公園も設定された。
ハンモ サイクロ ジャイル ダゴン ローツェ 夕立ち クフルト マーガ 白菜 エゴイ シプリン ヒート サテラ 黄昏 あくび ぞくげん スコール おきなれ プリスクール トーラス ブルー オートオオ レモンピー 天永 リュード フキ ギアシ ルクセン ジャイロ サイド ジェット ダックス フレア 四天王 マンゴー ピアニスト モヒカン ナビむつ デザイン キュー きつき ストップ じょうさい ヒヤシンス シュミナ リフネ メゾネット イング ダッシュ リング

コア渓谷沿いの数キロメートルにわたって広がるこの先史的遺跡群が発見された後、論争が持ち上がった。もともと、この一帯にはダムをはじめとする水力発電施設の建設が予定されており、発見もその工事に絡んだものだったからである。

もしも、発電施設が建造されて水位が上がれば、線刻画のほとんどは水没してしまう。この事実は、一般市民や関連学会が遺跡の重要性を認識するよりも前に、ポルトガル国営エネルギー会社EDPと、国立文化財研究所(IPPAR)が認識していた。

EDP と IPPAR の合意のもとで遺跡の研究をしていた考古学者のネルソン・ラバダは、報道期間や、ユネスコのような先史的芸術や遺産に関する高等機関に向けた報告書を作成することに決めた。このことは、ポルトガル国内でのスキャンダルになり、サンデー・タイムズ、ニューヨーク・タイムズ、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンなどの各紙で報じられたことで、国際世論も喚起した。

ユネスコのレポートでも、水力発電施設建設の是非については全会一致とはいかなかった。ユネスコの先史部門の責任者ジャン・クロットは、水位の上昇はむしろ蛮行から線刻を守ってくれるかもしれないとも主張していた。

この議論は考古学者や公論を納得させるには至らず、ポルトガル世論は建設に強い反対を示していた。1995年にアントニオ・グテヘス(António Guterres)首相のもとで、ポルトガルの国会と政府は建設中止を決断し、考古学的研究と一般の来訪に資する公園の設定を決めた。

岩絵 [編集]
発見された岩絵は主にウマ、ウシ、ヤギなどの動物を表したもので成り立っている。人物画や抽象的な図像も存在する。

それらは、渓谷沿いの切り立った断崖に線刻画の技法を使って描かれている。それらの大きさはまちまちで、15 cm から180 cm まである。太線で描かれているものもあるが、多くは細く流麗な線で描かれている。これらの線刻画は、1995年時点の研究では、20000年前にまで遡ると算定されている。

この先史的岩絵遺跡の重要性は、その稀少さと広がりにある。先史時代の洞窟壁画は確かに多くある。しかし、青空のもとにある岩絵群は数が少ない。そして、その例としてはメキシコのマソウコ(en:Mazouco)、フランスのフォルノル・オー(en:Fornols-Haut)、スペインのドミンゴ・ガルシアとシエガ・ベルデ(en:Siega Verde)などを挙げることができるが、そのいずれもコア渓谷遺跡の広がりに比肩するものではないのだ。

考古学者たちは、この場所が、先史時代の人類にとっての聖域のようなものであったと認識している。

立地 [編集]
コア渓谷の遺跡は、現時点では、下流域の約17 km にわたって広がる16の岩絵遺跡群のグループから成り立っている。

Broeira
Canada do Inferno/Rego da Vide
Faia
Faia (Vale Afonsinho)
Vale das Namoradas
Vale de Moinhos
Vale de Figueira/Texiugo
Ribeira de Piscos/Quinta dos Poios
Meijapão
Fonte Frieira
Penascosa
Quinta da Ervamoira
Salto do Boi (Cardina)
Ribeirinha
Quinta do Fariseu
Quinta da Barca

2009年02月26日

ユグドラシル宇宙観

『アルシャード』シリーズは、ユグドラシル宇宙観といわれる多元宇宙を舞台にしている。

ユグドラシルは幾多の次元を貫き生える宇宙樹であり、全ての次元はユグドラシルの枝であり葉であるとされる。ユグドラシルは現在「奈落」という虚無の勢力の侵略を受けており、多くの枝や葉が枯れつつある。プレイヤーキャラクターは奈落に対抗できる戦士「クエスター」となり、あらゆる願いが叶うという理想郷アスガルドを見出し、全次元を奈落の魔手から救い出すのがゲームの大目的である。

ユグドラシル宇宙観では、ゲームの舞台になりうる各世界のことを枝世界(ルートワールド)と呼ぶ。そして枝世界にはさらに葉世界(リーフワールド)と呼ばれる次元が多平行世界として数従属している。これはユグドラシルを一本の大樹とみなしたとき、幹から生えている枝がそれぞれ世界であるとみなし、枝から生えている葉を、その枝世界に従属する平行世界/小世界であるとみなしているのである。

葉世界が枝世界に従属するといわれるのは、枝世界が滅びるとそれにくっついている葉世界も同時に滅びるためである。なお、時間の流れによる過去や未来もまた枝世界に対する葉世界として存在し得る。そのため、歴史改変を行うことにより葉世界であった「可能性の世界」を枝世界へと変容させ、逆にそれまでの枝世界を「可能性の世界」である葉世界へと変容させることも可能である。枝世界のひとつであるブルースフィアでは時間管理局という組織の存在が確認されており、歴史改変および歴史の修正をおこなっている。

ユグドラシル宇宙観に属する世界
ミッドガルド
枝世界の一つ。『アルシャードff』の舞台であるメカファンタジー風の異世界。ユグドラシルの中心に存在する「中の国」。詳細はミッドガルドの節を参照。ミッドガルドは以下に示すような複数の葉世界を持つ。
エイリアスワールド
ミッドガルドに属する葉世界。ミッドガルドの平行世界の一つ。機械神の力により作られた人工世界でありミッドガルドそのものをコピーした世界である。ミッドガルドとは別の歴史をたどっており、真帝国がクエスターにより打倒された影響で、今度はクエスターたちが世界の覇権をめぐって争っているという闘争の世界となっている。
シャルメル
ミッドガルドに属する葉世界。妖精郷と呼ばれる小世界の一つ。常春の世界である。妖精姫プリティにより治められており、人間に対してもっとも友好的な妖精郷である。
オーベロン
ミッドガルドに属する葉世界。妖精郷と呼ばれる小世界の一つ。妖精王オーベロンと妖精女王ティターニアにより治められており、人間に対しては閉鎖的な世界である。妖精郷の中ではもっとも強い勢力を持つ。
マグ・メル
ミッドガルドに属する葉世界。妖精郷と呼ばれる小世界の一つ。かつては平和な世界だったが現在は奈落の妖精クル・ボロムによって支配される闇と恐怖の世界と化している。
ブルースフィア
枝世界の一つ。『アルシャードガイア』の舞台となる現代の地球が存在する次元のこと。ユグドラシルの上方に存在する「青の星」。詳細はブルースフィアの節を参照。ブルースフィアは以下に示すような複数の葉世界を持つ。
サンク・クリムゾン
ブルースフィアに属する葉世界。ブルースフィアの平行世界の一つ。地球の代わりに火星で人類が文明を成した世界であり、科学技術と呪術が融合して発達したファンタジー風味の世界で、火星のプリンセスのオマージュともいえる世界観を持つ。現在は女王が奈落に魅入られたために、枝世界であるブルースフィアの奈落化をもくろみ侵略を開始している。
アナザースフィア
ブルースフィアに属する葉世界。ブルースフィアの平行世界の一つ。魔法や奈落の存在が広く世間に認知された世界であり、魔法が科学と同時に日常生活に普及しているエブリデイマジックな世界である。
ヒーローズスフィア
ブルースフィアに属する葉世界。ブルースフィアの平行世界の一つ。アナザースフィアとは逆に、科学の発展により魔法などの神秘を研究する秘密結社や魔法使いがことごとく消滅してしまった歴史を持つ世界である。近年になって奈落の勢力が突然活動しはじめたが、その正体を知るものもおらず、パニックを恐れて奈落の存在を隠そうとする組織もいないため、「正体不明の謎の存在」の侵略を受けているとマスコミに大々的に報道され世界中の人々は恐怖におののいている。また、ヒーローズスフィアではクエスターは、自分の力や使命について教えてくれる師も持てないまま、奈落と戦う孤独なヒーローとなることを宿命づけられる。
狐の幽界
ブルースフィアに属する葉世界。妖精郷と呼ばれる小世界の一つ。稲荷の眷属であるフォックステイルたちが住まう世界。
アヴァロン
ブルースフィアに属する葉世界。妖精郷と呼ばれる小世界の一つ。伝説の大魔術師であるマーリンの住家。
10TH-TERRA
枝世界の一つ。『天羅WAR』の舞台となっている、永遠の戦国と永遠の大西部が併存する世界。現在は奈落の気配はないが、奈落が近々到来する予言がなされており、ごく一部の人間たちがその対策のために異世界へと赴いている。枝世界ではなくブルースフィアの葉世界(未来のブルースフィア)ではないかという説もある。
ウートガルド
枝世界の一つ。神話時代に超古代文明を作り出した巨人族アルフが眠りについている世界。その実体は、大陸ほどもの大きさがある巨大な次元間航行戦艦である。
タルタロス
枝世界の一つ。ユグドラシルの最下層にある。奈落そのものが具現化した世界であり、またこの世界そのものが神として存在する。現在ユグドラシル宇宙に蔓延する奈落はタルタロスから漏れ出してきたものとも言われている。奈落に侵された神であるティターン神族が封じられている世界でもある。
ムスペルヘイム
枝世界の一つ。優れた科学技術を持っていた世界だったが最終戦争が起こり文明が崩壊したポストホロコーストな世界になっている。ミッドガルドとは次元的に近い位置にあり、ムスペルヘイムからミッドガルドに移住してきた炎を拝めるジャーヘッドと呼ばれる蛮族たちが存在する。彼らは魔導科学ではない純粋な科学技術による機械類を「ムスペルの炎」という神秘的な存在から与えられており、それを用いてミッドガルドの過酷な砂漠で独特の宗教文化を築いている。
スヴァルトアールヴヘイム
枝世界の一つ。魔法の鍛冶技術に優れた小人族ドヴェルグの故郷。はるか古代に滅びてしまったらしく、ドヴェルグは現在はミッドガルドに移住している。
冥府ハデス
枝世界の一つ。ユグドラシルの根にある黄泉の国であり、死者の魂がいきつく先の世界である。
ヘルヘイム
枝世界の一つ。ユグドラシルの根にある魔界であり、奈落の勢力が支配する。
トワイライトワールド
枝世界の一つ。中世ヨーロッパ風のスタンダードなヒロイックファンタジーの世界。奈落の勢力が放った魔物や災害が常に人類の生存圏を襲っており人々の生活は苦しい状況となっている。また、奈落が放った闇により太陽の力が弱くなり、薄暗がりが空を覆っている。
ノーフューチャー
枝世界の一つ。高度な科学文明を持つ世界であるが奈落の侵食により自然災害が多発し、人類は科学技術に依存することでかろじて生き延びている。過酷な環境に適応するために、人々が肉体や精神を改造するサイバーパンクな世界。
夢幻郷
枝世界の一つ。人が夢を見るときは必ずこの夢幻郷を訪れているのだという。夢幻郷にはすべての人間の夢が小部屋のように並んで存在している。夢幻郷を自由に来訪できるものをドリームバスターと言われる。彼らは夢幻郷を旅しながら、誰かの夢の小部屋を訪れることでその人物の夢に干渉することができると言われている。
精霊界
枝世界の一つ。ユグドラシルという大樹全体を覆っている泡のような世界である。この世界に住む精霊たちは奈落に対する抗体のような存在であり、どこかの世界に奈落が発生するとその世界に飛来し、その世界の住人に憑依して奈落と戦う。
アスガルド
枝世界の一つ。究極の理想郷でありここにたどり着いたものはあらゆる願いを叶えることができるという伝説がある。クエスターたちが目指す最終的な目的の地である。

シャードとクエスター
シャードとは太古の戦争で滅んだ神々の欠片のことである。宝石の形をしている。大量の魔力(マナ)を有しており、所持者に莫大な力を与える。シャードの中には神々の意思の残滓が残っており、所持者を理想郷アスガルドへ導く。
チルー オストメ ミモレ サイド ジャック プレクリ スコポフ きゅうてい スパイス ウフジ ラップ トーシュズ サイレン ノーカ キンセン チャイルド スター ホンコン デックス きゅう メトセク ルーキー バリヤー シュルレ フォトス フィブリン トリプタン ソユーズ ワゴン シェア すあわ ステージ ボケSEO ムルロ グルベド どふぇ ユニオ スマッ ブレテ アイス テーブル ファシズム 男船日本 未来地図 端玉アク シブシップ 長崎赤 ケイトウ モンゴ サイフォン

シャードは誰でも所持できるものではない。シャード自体が選んだ者にしかその力を貸さない。シャードに選ばれた者のことをこのゲームでは「クエスター」と呼ぶ。クエスターはシャードの導き(クエスト)を受け取ることができ、クエスターはクエストに従ってさまざまな冒険を体験することになる。

シャードは所持者の運命に干渉することができるため、クエスターは必ず与えられたクエストが示す事件に関わることになる。クエストはクエスターの意志と無関係に与えられるため、シャードは祝福であると同時に呪いであるとも言われる。シャードがなぜクエストをクエスターに与えるのかは謎であり、クエストの内容も千差万別でそこに共通点は見出せない。世界の危機を救うような大掛かりクエストが与えられることもあれば、町内のトラブルを解決するという日常的なクエストが与えられることもある。一説には理想郷アスガルドへクエスターを導くための試練(成長の糧)としてクエストが与えられるのだとも言われている。ゲーム的にはクエストはシナリオの目的としてGMから与えられ、達成することで経験点となる。そしてクエストをいくつも達成していき、経験点をためて成長していき、アスガルドを目指すのである。

アスガルド
ユグドラシルのどこかにあるという理想郷がアスガルドである。そこに行けばあらゆる願いが叶い、宇宙の全てを自分の望む通りに作り直す力が与えられるとも言われている。しかし、それがどこにあるのかは誰も知らず、まだたどり着けた者もいないとされる。

全てのシャードは自分のクエスターをアスガルドへたどり着かせるように導きを与え続ける。アスガルドへの到達はこのゲームの究極目的である。

奈落
全ての世界を飲み込もうとする無そのもの。『はてしない物語』にでてくる"虚無"に近い。欲を持つ人の心に取り憑き大いなる力を与えることもある。奈落に侵された者たちはこのゲームの代表的な敵役の一つになっている。

ユグドラシル多元宇宙において奈落の拡大はゆっくりとであるが着実に進んでおり、多くの世界が奈落によって滅んでいる。奈落を根源的に滅亡させる手段が見つかっていないが、あらゆる願いが叶うという理想郷アスガルドにたどり着けば全ての奈落が消滅した世界を望むこともできると伝説は語っている。

ミッドガルド
ユグドラシルに連なる「枝」にあたる世界の一つがミッドガルドである。『アルシャードff』の主要な舞台でもある。

いわゆる剣と魔法のファンタジー世界だが、中世ヨーロッパ風のイメージにはこだわらず、近代的な機械技術を持つドイツ風の軍事帝国や、未来的な科学技術を持ったアルフの古代遺跡、樹海に棲む蛮族、日本風のサムライやニンジャ、チベット・モンゴル風の遊牧文化をもった異種族など、多様なイメージを背景にもつ文化が混在している世界であり、ルーンクエストやルナルサーガなどとも共通する「ごった煮ファンタジー」となっている。

真帝国
ミッドガルドを席巻する強大な機械帝国。『アルシャードff』における代表的な敵役の一つであるが、絶対悪というわけではない。PCが帝国側のキャラクターになってプレイするためのデータも用意されている。

軍部が強い力を持つ軍事大国であるが、同時に機械の神デウス・エクス・マキナを奉ずる政教一致の宗教国家でもあり、軍と教会の間で対立が起こることもしばしばある。

ブルースフィア
ユグドラシルに連なる「枝」にあたる世界の一つがブルースフィアである。『アルシャードガイア』の主要な舞台でもある。

ブルースフィアはユグドラシル宇宙観において我々の住む地球にあたる世界である。魔法が存在はするが隠蔽されており、多くの人々は魔法や奈落の存在を知らずに日々を過ごしている。この世界の平和な日常を守るために、人々にばれないように奈落を退治するのが『アルシャードガイア』の基本的なゲームスタイルである。『ナイトウィザード』と世界観のコンセプトが酷似しているが、これはゲームデザインに菊池たけしが関わっているからであり、菊池自身も「『アルシャードガイア』はナイトウィザードのコンセプトを後継するものとして作った」と明言している。

2009年02月09日

称制(しょうせい)とは先帝崩御後・親政(しんせい)

キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

称制(しょうせい)とは先帝崩御後、新帝(主に皇太子または皇后)が即位の式を挙げずに政務を執ること。日本では飛鳥時代に中大兄皇子と菟野皇后の二例が見られるが、どちらも日本書紀では一見してほとんど事実上の天皇と同然に記述されている。日本の場合摂政と似ているが、摂政の場合、天皇が同時に存在しているが、称制の場合は、天皇がいない(称制している本人が事実上の天皇か天皇に準ずる存在)のが大きな違いである。

称制はもともと中国の漢文の言葉である。先王が崩御して、新王が幼少である場合、太后(母后)が実権を握って政治を代行することをいう(垂簾の政)。古く春秋時代からみられる。日本と異なり、中国の場合は称制する者(母后)と別に正統の君主(幼君)が同時に存在しなければならない。

日本の称制
日本においては、中大兄皇子(舒明天皇・斉明天皇の皇子で後の天智天皇)と菟野讃良皇后(天智天皇の皇女・天武天皇の皇后で後の持統天皇)の2例を「称制」としているが、この他に神功皇后・飯豊皇女・阿閉皇女の計3例のケースも称制に相当すると言う考えがある。

中大兄皇子の称制
斉明天皇は新羅出兵準備中に崩御したが、中大兄皇子は皇太子のまま即位せずに政務を執行した。斉明天皇の崩御後も即位を先延ばしにしたが、この間は日本書紀や万葉集によると「中皇命(なかつすめらみこと)」と呼ばれた人物がいたらしく、これは間人皇女(孝徳天皇の皇后)のこととする説が有力である。先帝の后や母后ではなく皇太子の方が実権を握っている点で、中国の称制とは異なるが、まず母后(斉明天皇)のちに先帝の后(孝徳天皇の皇后・間人皇女)を名目上の上位者として立てていたために形式上「称制」という名称が選ばれたのであろう。いずれにせよ、中大兄皇子は667年に近江大津宮に遷都し、668年旧正月1月3日にやっと正式に即位した(天智天皇)。(一説に、中大兄皇子が同母妹の間人皇女と不倫関係を持っていた為に乙巳の変から15年以上経過してもなお即位できなかったとの説や、反対に間人皇女(=中皇命)は中継ぎの大王として即位していたとの説もある。中大兄皇子が(結果的に)晩年にやっと即位した理由については他にも様々な説がある。)

菟野讃良皇后の称制
天智天皇崩御後に勃発した壬申の乱に勝利した夫・大海人皇子(天武天皇)崩御後、菟野皇后は息子・草壁皇子への皇位継承を望んでいたのだが、ライバルの大津皇子を自害に追いやった為に却って反発を買い、草壁の凡庸な器量も相まって、草壁を即位させる事が出来なかったため、母后である菟野が政務を執り草壁を支えた。結局皇太子のまま草壁は早世してしまい、彼女は草壁の遺児・軽皇子(後の文武天皇)が成人するまでの中継ぎとして、690年旧正月にようやく持統天皇として即位した。天智天皇の皇女・菟野皇后の称制は自らが産んだ草壁皇子の血統が続くのをより確実にしたいがためであった。彼女は草壁の早世にめげず、強いリーダーシップで律令国家体制確立への舵を執り、孫・軽皇子への譲位(直前に天武天皇第一皇子高市皇子が薨去したが、菟野・藤原不比等による暗殺説もある。)を果たした。天武と持統の間から生まれた草壁皇子の子孫は奈良時代の皇統となって平城京で政治・文化の担い手になったが、称徳天皇を最後に断絶してしまい、皇統は天智系(すなわち白壁王、のちの光仁天皇)に戻る事となった。

称制であるとする見方があるケース
神功皇后の摂政
日本書紀によると、仲哀天皇の崩御後、世継ぎの応神天皇が生まれたばかりであり、その母の神功皇后が摂政となったという。ここであえて摂政という用語を使い「称制」とはいってない。むろん伝説時代のことであるので当時に摂政だの称制だのという漢文の用語が使われたわけもなく、古事記では摂政とも称制ともいってはいない。が、日本書紀が編纂にあたって天智称制・持統称制にあわせて用語を統一しなかったのはどういうわけであろうか。その理由は、「仲哀天皇がいまだ崩御していないという建前をとったためその代理だから」という意味か、または「特に理由はなく、称制も広義の摂政の中の一種という建前でただ慣習的に称制という言葉が使われなかっただけ」というわけなのか、あるいは「応神天皇は胎中天皇と称されたように胎児の頃からすでに正式な天皇であってその代理」という主旨なのか、いずれにしてもよくわからない。

飯豊皇女の執政
日本書紀によると、清寧天皇の崩御後、世継ぎの候補である億計尊(おけのみこと)と弘計尊(おけのみこと)の兄弟が互いに皇位を譲り合って後継が定まらなかったために、その姉とも叔母とも言われている飯豊皇女が政務を執ったといわれている。

阿閉皇女の執政
続日本紀によると、文武天皇の崩御後、世継ぎの首皇子が幼少であったため後継問題が浮上し、そこで文武天皇の母で天智天皇の皇女にあたる阿閉皇女が仮に政務を執った。だが、後継は定まらず、2ヵ月後に諸臣の要請を受けて首皇子成人までの中継ぎとして元明天皇として即位した。息子である天皇の崩御から元明天皇即位までの2ヶ月間は形式的には阿閉皇女の称制が成立していたと考えられているが、期間が短かったために、称制としての実質はほとんどなかったと考えられている。

親政(しんせい)とは、君主(国王・皇帝・天皇など)自身が政治を行うこと、またはその政治形態(君主制の一形式)のことである。また君主が幼いなどの理由で摂政、摂政団が置かれた後、君主の成人などによって、独自に政治を取り仕切る場合も親政と言う。

また日本では、上皇が院政をおこなわず、在位の君(現役の天皇)が同時に治天の君として実権を握る状態をもいう(院政の対語)。ただし、日本における親政は『愚管抄』・『神皇正統記』などの歴史書や江戸時代の朱子学及び国学、明治以後の皇国史観に引き継がれた理想像が先行して語られることが多い(明治維新以前の日本の天皇制は在位の君が国家の支配者であるという概念の元に成立していなかったことに注意を要する)。歴史上摂関政治や院政、武家政権などの時代に比べて実際に親政が行われていた期間は長くは無かったことに留意する必要がある。また、延喜天暦の治の時代は摂政・関白が必ずしも常置されていなかった時代であり(藤氏長者が太政官の筆頭の地位にいた)、後醍醐天皇は元々治天の君の資格のない(院政を行う資格のない)中継ぎの天皇であったことなど、親政が必ずしも積極的な動機で行われたとは言い難い場合もあった。

なお君主が自ら軍を率いて戦役を起こすことは親征といわれる。

親政を行った主な王・皇帝
桓武天皇(日本、781年 - 806年)
後三条天皇 (日本、1069年 - 1072年)
後醍醐天皇 - 建武の新政(1333年 - 1336年)
ルイ14世(フランス王、1661年 - 1715年)
クリスティーナ女王(スウェーデン王、1644年 - 1654年)
カール11世(スウェーデン王、1672年 - 1697年)
グスタフ4世アドルフ(スウェーデン王、1796年 - 1809年)
ジグミ・ドルジ・ワンチュク(ブータン王、1968年 - 1972年)
ジグミ・シンゲ・ワンチュク(ブータン王、1972年 - 2006年)

将軍親政
江戸幕府においては老中による合議制が成立しており、将軍が独断で政策決定をする訳ではなく、逆にほとんどの政務を老中に委ねる場合すらあった。また前将軍である大御所が実際の権力を持っている場合もあった。そのため、将軍が自ら積極的に政治にかかわる状態を「将軍親政」と呼んでいる。将軍が実権を握っていたり握っていなかったりということは、鎌倉幕府や室町幕府でも起きていたことであるが、「将軍親政」の語は江戸幕府にしか用いられない。上述の通り、親政の定義は「君主自身が政治を行う事」であり、将軍は君主ではないからである。ただし江戸幕府の場合は、幕府が朝廷を押え付け、事実上将軍が君主と化していた事から「将軍親政」なる言葉が生まれたものと思われる。

2009年01月24日

東北官話(とうほくかんわ)


マルバタ クロスレ シュール しばざくら アスク たいざん ロスカ チーズ 白爵南瓜 モルガ ユーボ 冬の星座 ライオン いろはに ピーク ハスカ リッペ リーズ ダイヤ 雪の駅 マネタ ファース グラス おくやま スピンオフ スカッド レンジャー レジスタ バルキー 寄居かぶ メキシコ へきぎょく ダージジ パサク はま スティン つるむら 京野菜 コリンズ プール ギミッ デカル マンネリ ハイガイド トークッシ ロンティー サイトバラ メガ最適 ミズム どうちゃく
東北官話(とうほくかんわ)は中国東北地方の黒龍江省、吉林省、遼寧省の大部分の地区、内モンゴルの一部の地区のあわせて172市県旗で話されている中国語の方言。北方方言の中の華北東北方言に含まれる。東北官話と北京官話は合わせて東北官話と呼ぶべきとする学者もいる。

東北官話は中国東北部に分布しているが、東北の中国語の全てが東北官話であるという訳ではなくて、遼寧省南部の大連から丹東一帯の方言は、「膠遼官話」として分類され、山東省の人々が「闖関東」と呼ばれる人口移動現象で大勢東北部に来たので、そこの東部の青島・煙台などと似た方言として分類されるようになっている。

中国語言地図集の調査によれば、1988年中国大陸の東北官話使用者は8200万人となっており、人口増加を考慮すると2005年7月現在の大陸での東北官話使用者は9772万人と推定される。

下位分類
吉瀋片 - 遼寧省、吉林省、黒龍江省の54県市に分布。
蛟寧小片
通溪小片
延吉小片
哈阜片 - 黒龍江省、吉林省、内モンゴル自治区東部の65県市に分布。
肇扶小片
長錦小片
黒松片 - 主に黒龍江省と内モンゴル自治区の一部の57県市に分布。
嫩克小片
佳富小片
站話小片

特徴
東北官話の大部分の地区では[ʐ]の声母(漢語拼音のr)がなく、普通話の[ʐ]が東北官話では消失する。
声調は北京語に近いが陰平が北京語と較べて低い。
北京語では区別している“如”(rú)と“魚”(yú)、 "柔"(róu)と“油”(yóu)、 "人"(rén)と“銀”(yín)、“軟”(ruǎn)と“遠”(yuǎn)などを東北のいくつかの地域では区別ができない。
児化現象が頻繁に起きる。
そり舌音と歯茎音はよく混同されるが発音し分ける地域もある。
抑揚が強くリズミカルな方言である。

歴史
歴史上、東北地区の中国語は主に河北や山東などの移民の言葉が現地の満州語、モンゴル語の影響を受けて形成されたものである。東北話には地方独特な訛りと語彙がある。また多くの満州語の語彙と少しの古い漢語の語彙を保存しており、日本語、朝鮮語、ロシア語の語彙も見られる。

2009年01月17日

新バビロニア

新バビロニア(しんバビロニア、紀元前625年 - 紀元前539年)は、カルデアの将軍ナボポラッサルにより建国された。首都はバビロン。カルデア王国とも言う。なお、日本語や中国語では「新バビロニア」が多く使われるが、欧米圏では「カルデア」が一般的である。

フェルト オレキ マッチ キャム プロポ オオセンナ パドルボ ダカー 国道18号線 ストー ヤン サンゴ ウェー ジグラート ないえ ショルダ イチゴ マリネ シュラフ デュポン ジェイペグ 古時計 スペクト ビージ レベル ゲッケイ カーン マエスト ツルウ オギジ レアメ スキーマ ネオジム ラズライ トリトマ ビレイ きあか スフィン レザー ジャムウ ファイ ファクト オキナグ ハイクラ ケフェウ ペクシ スノー チェンジ スケイ ダカール

バビロニアで勢力を築いたナボポラッサルが紀元前625年にアッシリアからバビロンを奪取し建国。その後ナボポラッサルは単独でアッシリアと戦い続けるも成功せず、紀元前612年メディア王キュアクサレスと同盟を結びニネヴェ市を攻撃、これを陥落させアッシリアを滅ぼした。 以後オリエント世界はリディア、メディア、エジプト、そして新バビロニアの四大国の時代となり、新バビロニアは主にエジプトと抗争を続ける事となる。

エジプトとの戦いが続く中、2代目王ネブカドネザル2世が即位。 彼はイシュタル門や空中庭園などの建設で有名であり、またユダ王国の離反に対して二度の遠征を行いこれを滅ぼした。ユダヤ人の大量移送、いわゆるバビロン捕囚が行われたのも彼の時代である。

この後4人の王が国を治めるが、内3人が暗殺などで僅かな統治しかしていない。さらに神官が力をつけ始め、政治が不安定になる。

最後の王ナボニドゥスが紀元前555年に即位し、キリキアやアラビアのテイマなど各地へ遠征を行う等、勢力回復を図ったが、紀元前539年、キュロス2世率いるアケメネス朝ペルシア軍に無血入城され滅亡した。

統治体勢
領土内はいくつかの州に分割され、恐らく中央政府から長官が任命された。他に神殿の官僚達が州行政の上位にあり、これら有力者による集会によって各州・都市は治められていた。神殿の官僚達は地元の有力者が王によって任命される場合が多かったと考えられる。

社会構造は大まかに自由民、奴隷、小作人からなった。

自由民
主に神殿の高級官僚や王室の官僚、職人や商人をはじめ、都市に自由の身として生まれた人々によって構成された。

奴隷
奴隷は王室所有・神殿所有・個人所有の者があったが、基本的に差異は少なかったと考えられる。所有者から独立して働く事は稀であった。

小作人
この訳語が適当であるか定かではない。主に王室・神殿などに従属する小作人達である。彼らは収穫物を小作料の形で王室・神殿に納めており、主要な財源であった。実際には細かい制度上の差異によって更に細分化されていた。

新バビロニアの王
ナボポラッサル (Nabopolassar) 紀元前625年 - 紀元前605年
ネブカドネザル2世 (Nebuchadnezzar II) 紀元前604年 - 紀元前562年
アメル・マルドゥク (Amel-Marduk) 紀元前562年 - 紀元前560年
ネルガル・シャレゼル (Nergal-sharezer) 紀元前560年 - 紀元前556年
ラバシ・マルドゥク (Labashi-Marduk) 紀元前556年 わずか9ヶ月で暗殺された。
ナボニドゥス (Nabonidus) 紀元前555年 - 紀元前539年 息子のベルシャザル(摂政)と共同統治。